最近、お酒の席でCSSの2つの文字プロパティを話し合う機会に恵まれました。
・縦書きのイタリック問題とその周辺
・CSS3での日本語縦中横を考える
どちらも興味深い話題で面白かったです。それ以来ずっといろいろ考えているのですが、ここではもうすこし立ち位置を離れて、個別具体的な適否ではなく、その背後でなにが問われているのかを考えてみたいと思います。
縦組みのイタリック
組版ルールは、一言でいうと「活字を用いて清書をする技法」です。ところが、同じく活字を使って表示するWebなどがそこで清書をしているのかというと、かなり疑問です。私たちは今や手書きの代替として、対話の手段として活字を使っています。そこでの文字組版はインフォーマルな伝達手段であって、フォーマルな清書ではない。活字が使われているからといって、それがそのまま清書になるわけではない。
上記リンクでのイタリック問題は、CSSをインフォーマルな伝達に使うことを視野に入れたいのか、EPUBなどでの商業出版を見据えて清書の技法に落としこみたいのか、この両者の衝突が顕著にあらわれたものだと私は捉えています。
縦組みの和字にイタリックのタグを付けるのは、いずれにしても不適切です。インフォーマルな伝達では、たとえそれが不適切であっても、タグの指定がなんらかの形相で表示に反映されることを望むでしょう。フォーマルな清書では、不適切なタグの影響で珍奇な表示になってしまうことを望まないでしょう。
今回のイタリック問題を通して、CSS側はこうした衝突にかなり無頓着な印象を受けました。インフォーマルな伝達に清書の技法をそのまま利用できると考えているふしがあるし、清書の技法にインフォーマルな用途を盛り込もうとしているふしもある。こうした姿勢が、清書を逸脱しようとする伝達用途に対して清書の技法がそれに抗うといった構造的な衝突を招いている。CSS側がこれに気づいているのかどうかも見えてきません。
縦中横
縦中横は、清書での和欧混植の技法のひとつだといえます。縦組みに算用数字や欧字などが混在する和欧混植は、横組みよりもさらに激しく見苦しい破綻が発生します。その破綻を回避する工夫のひとつが縦中横。しかし一方で、縦中横が原因でかえって見苦しい破綻が発生してしまうこともあります。
商業印刷物では、こうした破綻の発生を送り手が事前に確認して直そうとします。直したことが分からないように直そうとします。さらに言えば、破綻の発生を見越して、前もって破綻を回避するために様々な設計や調整を施したりします。
どうしてここまで破綻を避けるのか。それが「清書」だからです。相手の目にそれがどう映るのかを知るために、実際に相手が目にするのと同じ状態の文字組版を見て、そこに瑕疵がないかを確認する。清書の印刷物を届けようとする者にとって当たり前のことです。
しかしWebやEPUBでは、相手の目にそれがどう映るのかを知ることができません。しかもそこで破綻しても送り手は直せない。でも破綻させたくないからCSSで自動的になんとかしてほしい…私にはこれは無理筋だと思えてなりません。
今回の縦中横論議は、CSSに過剰な要求を無理強いしてしまっている面が顕著にあらわれたものだと捉えています。
組版ルールは「活字を用いて清書をする技法」ですが、そのまま「破綻させない技法」を意味するものではありません。工業生産手法での文字組版で破綻が発生するのは不可避であり、和文だけでなく欧文でもそれは同じことです。送り手が生産中に破綻を回避、直すことを前提にしています。
CSSで自動的に破綻を回避できることもあるでしょう。しかしなにもかも回避できるわけではありません。たとえば、閲覧側が設定した行間が狭すぎて隣り合った縦中横とルビ文字が重なる場合、その設定ではなくCSSでどうにかしろというのは見当違いな要求ではないでしょうか。
そしてCSS側がこうした無茶な要求を解決しようとしたら、閲覧側がどんな設定(=組版設計)にしても破綻しない和文組版ルールをCSS側が創造するしかない。私たちはそんなことまで本当に望んでいるのでしょうか。
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