Glyphsのハンズオンセミナーをします

【DTPの勉強会 特別編・第4回】でGlyphsのハンズオンセミナーをやりますよ。

今回はDTPに特化した内容で、DTPの仕事で使う記号フォント作成をGlyphsで実際に作りながら学ぶセミナーです。ハンズオンなので、全員が完成までたどり着けるように、参加者は30名に限定しています。

参加者は以下の3つをクリアしているのが理想的です。

  1. IllustratorやInDesignをDTPの仕事で日常的に使っている
  2. 会場に自分のMacを持ち込むことができる
  3. MacにGlyphsとIllustratorやInDesignがインストールされている

でも、Macは高価ですし、さらにGlyphsとIllustratorやInDesignまでインストールとなると、学びたいけどそれは無理!っていう方もいますよね。なので、この3つは必須ではありません。「Macは持ち込めないけどGlyphsでフォントを作る概要を聞いておきたい」という方も大歓迎。話を聞くだけでも、アレとかコレとか「なるほど~!」って思うはず。

私とmottainaiDTPの照山さんが、得意分野を交互に担当する予定です。照山さんの教え上手が本領発揮しますよ。ぜひお誘い合わせの上、ご参加くださいね。

追記

今回の目標である「DTPの仕事で使う記号フォント」は、

  • Adobe-Identity-0のCID-keyed(=日本語フォントにする)
  • GSUBのdligを利用した合字グリフ
  • GSUBのvertで縦組み用グリフ

このように日本語組版で実用的に使える機能を実装します。これが(GUIアプリで簡単に)できるのはGlyphsだけ。だからGlyphsなんです!

日本語の活字はどうして全角なのか

デジタルフォントの風説 “仮想ボディ” の続きです。むしろこっちが本題。

先の記事で私は、デジタルフォントのボディは現実にはたらきかける「実態」として機能していることを説明しました。さらに、それにもかかわらず、ボディだけをことさら「人間が頭の中だけで考える架空のもの」としている奇妙さを指摘しました。

ここでは問い掛けをこう言い換えてみます。「ボディだけを実体がないとすることに、どのような意図があるのか。実体がないとする言説そのものではなく、その言説でなにを得ようとしているのか」

結論を先に示しておきます。そこには、日本語の活字 (1 が全角であることの縛りを超克したい動機が背景にあります。

つまり、日本語の活字のボディが全角であることを乗り越えたいから、ボディを存在しない架空のものにしたい。「仮想ボディ」は現実に基づいた帰結ではなく、目的を達したいがための方便です。しかもその方便はかなり筋が悪い。

ここでは、日本語の活字が全角等幅である理由を通して、実態を捨象することの欺瞞を明らかにします。

欧文組版の場合


上図はInDesignで欧文を頭揃えにしたものです。単語間の薄い青色は欧文スペース。欧文スペースは字形がないグリフですから、他のグリフと同様に文字幅の属性を持っています。頭揃えにすると、欧文スペースを含めたすべてのグリフがすき間なく並ぶ状態になります。

注:欧文組版をプロポーショナル詰めだと思っている向きがあるようですが、違います。欧文組版はプロポーショナル幅の活字をすき間なく並べる純正のベタ組です。プロポーショナル組とベタ組は相対する組み方ではなく、併存するものです。

さらに、ここはInDesignで「欧文モード」にしてあります。この欧文モードでジャスティファイにすると、どうなるか。


こうなります。頭揃えで右側に発生していた空間が、欧文スペースの直後だけに割り振られます。InDesignはコンピュータのソフトウェアですから、すべてのグリフの間へ空間を割り振ることも可能です。でも、欧文組版ではそうならない。どうしてなのか。

活字は、文字をひとつずつバラバラにして並べる工業生産方法の発明です。どうして文字をバラバラにする必要があったのか。品質を揃えて効率的に文字を並べるためです。

そのためには、バラバラにした活字をぴったりとすき間なく並べます。そうすると自動的に品質が均質になる。なぜなら活字は、ぴったりとすき間なく並べたときにちょうど良く字形が並ぶように作られる工業生産用の部品だからです。

部品をすき間なくぴったり並べることで自動的に品質が維持される。金属でもデジタルでも、このしくみはまったく変わりません。それが活字の発明であり、工業生産として成立する前提なのです。

だから欧文組版は、デジタル組版でもグリフにすき間ができない。InDesignでもそうなるように、意図的にそういう仕様にしている。欧文組版の美しさは、プロポーショナルであるだけでなく、ボディをすき間なく並べることで成り立っています

理想をいえば、欧文スペースを含むすべてのボディにすき間をあけることなく(さらにボディを変形させることなく)ジャスティファイにしたい。しかしこれを実現するのは不可能です。ジャスティファイにするには空間をどこかに割り振らないといけない。そこでギリギリの妥協策として、欧文組版では欧文スペースにだけ空間を割り振っているわけです。

さて、これをInDesignで「日本語組版モード」にしてみましょう。どうなるでしょうか。

日本語組版の場合


こうなります。すべてのグリフの間に空間が割り振られます。これはどういうことなのか。

欧文は、単語を欧文スペースで区切った分かち書きです。空間を欧文スペースにだけ割り振るのは、分かち書きだからできることです。

一方、日本語には単語間にスペースがありません。ジャスティファイを実現するには、空間をすべてのグリフ間に割り振るしかない。これを日本語の文章で組んだときにどうなるか。


このように、すき間だらけになります。しかもジャスティファイは最終行だけ頭揃えなので、そこだけ常にすき間がありません。このいびつな状態は、グリフをすき間なくぴったり並べて品質を維持する工業生産の前提から大きく外れています。

しかし、日本語の活字はこれを解決するために作られています。上図をすべて頭揃えにして観察してみましょう。日本語の活字は全角等幅なので、頭揃えにしてすき間なく並べると、行末がきれいに揃います。


これは、たまたま揃っているのではありません。すき間なく並べたときに自動的に行末が揃うように、日本語の活字は全角等幅にされているのです

日本語組版には 2 つの条件があります。

  • 分かち書きではない
  • ジャスティファイにしても活字にすき間ができないようにする

日本語の活字が全角等幅なのは、この条件を両方とも同時に実現する唯一の解です。しかもこの解は、明治期の金属活字よりずっと前にすでに得られていました。木活字で組まれた嵯峨本には、分かち書きではない日本語とジャスティファイ(並べ書き)を同時に実現する解が見られます。
嵯峨本 第一種

デジタルの日本語組版には 2 種類の行末があります。

  • 全角のグリフをすき間なく並べると自動的に揃う行末
  • ソフトウェア上の行末

この 2 種類を一致させることで、先の 2 条件を同時に実現できます。これが、現代のデジタル日本語組版の設計方法です。

日本語プロポーショナル組みの場合

次は、日本語のプロポーショナル組みではどうなっているのかを見てみます。なお「プロポーショナル詰め」という言い方がされますが、実質的には、欧文と同じプロポーショナル幅の活字のベタ組みです。


頭揃えにした状態で行末を見ると、当然、揃いません。これをジャスティファイにしてみます。


すき間だらけになります。欧文プロポーショナル組みではすき間を回避できたのが、日本語プロポーショナル組みではどうしてもまだら状にすき間が発生してしまう。解決方法はありません。

だからといって、私は日本語プロポーショナル組みを否定する者ではありません。全角組みでは得られない独特の効果を得られるのは確かだからです。

注:しかしながら、日本語プロポーショナル組みはジャスティファイでスペーシングの制御が原理的に不能になるのですから、独特の効果は得られるものの、そこに日本語の本文組版の美は生まれ得ないと私は考えてます。

ここで私が明らかにしようとしているのは、現実を直視せずに「仮想ボディは実体がない」とごまかしている筋の悪さです。「実体がない」とお題目のように唱えても、すき間はなくなりません。実体がないとする言説そのものが、実体のない架空の夢。あるものをないことにして、これより先は考えないとする思考停止です。

日本語の活字が全角等幅なのは、先人が最初にそう決めたからではありません。活版術は日本語の土壌から生まれたのではなく、外国から輸入した工業生産技術です。これを日本語で利用する際に、その工業生産手法に基づく論理的な帰結として、漢字を混じり書きにする分かち書きではない日本語は、否が応でも全角等幅にするのが唯一の解なのです。その解の論理性は、明治期に仮名の作り替えを余儀なくさせるほどのものでした。

千都フォント|連載#2「四角のなかに押し込めること」

日本語の活字がどうして全角に縛られるのか、プロポーショナル幅にするとどのように破綻するのか、それを直視するのは、活字の発明からデジタルフォントに至るまで、すべてに渡って屋台骨となってきた「ボディ」を見つめることにほかなりません。

文字組版は二次元平面の世界であり、なおかつ、その世界では理想を実現できない引き裂かれた宿命を負っています。デジタルでもこの宿命からは逃れられません。それでもなんとか理想に近づけるため最小限度の妥協を選択するのですが、そこにはやはり痛みが伴います。この痛みの根源こそがボディであり、消せない痛みを誤魔化さずに耐え続けることが文字組版をすることなのです。

補足

上記であえて触れなかったことをここに記しておきます。

  • Display graphicsは、とくに現代の日本では「写植や清刷りの切り貼り」に相当する手技なので、ボディに従って活字を組む行為ではないといえる。前提から異なる別物と考えた方がいい。
  • 日本語の活字が全角等幅といっても、約物のアキの変化や行頭末禁則、さらには和欧混植で、現代の日本語組版は常に行末が一定に揃うわけではない。文字組版は工業生産であると同時に、人間の言葉でもある。言葉は工業生産の単純化にあらがうはたらきをする。その抵抗が行末に表れてくる。だからといって、二種類の行末を一致させず、すき間だらけにしていい理由にはならない。
  1. ここでいう活字は、手書きではなく工業生産の手法で作られた文字というほどの広い意味です。 []

やばい文字があるとイラレさんが

ScriptKeyAi のユーザさんが自力で「やばい文字」を見つけてくれました。
さらにあかねさんMD5500さんの詳細な検証を経て、その全貌が明らかに!

  • スクリプトファイルのフルパスに「やばい文字」があると、イラレさんが反応しなくなる
  • そのイラレさんはCS3とCS4のみ
  • PPC、Intel、OSXのバージョンは無関係
  • スクリプトファイルがファイルサーバにあるとなぜか反応したりする
  • たぶんMac版だけの現象

「やばい文字」っていうのは、全角英数や全角記号などです。この文字がフルパスに 1 つでもあると、CS3とCS4のイラレさんはご機嫌を損ねてスクリプトを実行してくれません。どうして今まで気がつかなかったんだろ…。(詳細は最後に)

で、その「やばい文字」を人間の目で探すのはかなり大変です。ということで、やばい文字をチェックするアプリ『Yabai Checker』を作りましたよ。

Yabai Checker 1.1 ダウンロード (3.7KB) OS X 10.4.11以降 PPC/Intel [2015.2.26]
「やばいがいちいちうっとうしい!」という方は→ 1.2 ダウンロード

Yabai Checker の使い方


起動すると真っ白いウインドウがあらわれます。
この中にスクリプトファイルをドラッグ&ドロップ。
やばい文字があると…


やばい文字が赤くなります。一目瞭然。
右上の▶を押すと、やばい文字を次々に選択します。


全角スペースもやばい文字なんですけど、赤くなりません。それも▶で探せます。やばい文字が検出されないようにファイル名やフォルダ名を修正してください。

文字っ子向け「やばい文字」の話

ここまで読んだ文字っ子のみなさんは、もうお分かりですね。そうです、やばい文字とは「互換分解される文字」なんです。CSってUnicode正規化でグダグダになってましたよね。それがCS3とCS4のこんなところに潜んでいたんです。びっくり。

デジタルフォントの風説 “仮想ボディ”

「デジタルフォントの仮想ボディは実体がない」と当たり前のように言われていますよね。本当にそうなんでしょうか? 私はこれ、誤解を与える深刻な風説だと思っています。以下にその理由を述べます。

金属活字の場合

まず、金属活字のボディを考えてみます。活字を並べるときに、ボディはどのような役割を担っているのか。

金属活字は、ひとつひとつの文字に幅の属性があるといえます。この幅は「次の活字が置かれる開始位置」として機能します。幅があるから次の活字の位置が決まる。そして次から次へと活字を並べていくことができる。活字の発明というのは、このように「並べるしくみ」も含めた発明です。

写真植字の場合

写真植字は、写真の印画紙に1文字ずつ撮影をしていく方法です。

金属活字との決定的な違いは、文字盤のひとつひとつの文字に幅の属性がないということです。写真植字で文字を並べるときは、文字ではなく印画紙の方が移動します。その移動量は写真植字機を操作する人間が決めます。金属活字は文字ごとに幅の属性があるので、幅そのものが次の活字の位置になりますが、写真植字は人間が決めた設定で位置が決まるのです。

もちろん、写真植字でも文字の幅は前提としてあります。しかし実際の印字機構では、文字盤からひとつひとつの文字幅を検出するのではなく、想定されている文字幅を人間が把握して移動量を決めます。この想定されている文字幅を「仮想ボディ」と表現したのは写研です。「仮想ボディ」は写真植字が発祥であり、ここでは筋の通った適切な表現だったといえます。*脚注

デジタルフォントの場合

デジタルフォントでは、ひとつひとつの活字をグリフと呼びます。

グリフは、そのひとつひとつに幅の属性があります。この幅は「次のグリフが置かれる開始位置」として機能します。幅があるから次のグリフの位置(二次元座標の原点)が決まる。そして次から次へとグリフを並べていくことができる。つまり、金属活字とデジタルフォントは、まったく同じしくみで文字を並べるのです。

時系列で見ていくと「金属活字→写真植字→デジタルフォント」となります。ところが、文字を並べるしくみはそうではありません。写真植字は例外であって、金属活字の直系はデジタルフォントです。つまりデジタルフォントは写真植字のデジタル化ではなく、金属活字のデジタル化なんですね。

とくに日本では「写真植字→デジタルフォント」の時系列が、そのまま技術的な継承であるかのような誤解が根強い。その誤解の大きな原因のひとつは、写真植字にだけ通用する「仮想ボディ」をデジタルフォントのボディにも適用してしまった JIS Z 8125『印刷用語―デジタル印刷』にあるでしょう。

金属活字には,ボディと呼ばれる角柱部分があり,それの断面が文字の占有するく(矩)形部分である。写真植字及びデジタルフォントの文字には物理的ボディがないため,仮想的にそれに相当するものを考え,字形デザイン又は文字を配置する際の基準としている。
JIS Z 8125『印刷用語―デジタル印刷』

ここには写真植字とデジタルフォントの短絡的な混同が見られます。

  • 「物理的ボディがない」ことを仮想というのなら、デジタルフォントの字形も同様に物理的ではありません。とくに字形のパスと呼ばれるものは関数の引数で構成されており、ラスタライズではじめて現出するのであって、座標値であるボディよりはるかに仮想度が高い。ボディだけをことさらに仮想とするのは筋が通りません。
  • 「仮想的にそれに相当するものを考え…配置する」のは写真植字だけです。デジタルフォントは個々のグリフの属性として二次元座標のメトリック情報が設定され、その情報に従ってグリフが配置されます。
  • デジタルフォントのボディを「仮想ボディ imaginary body」と呼んでいるのは世界中でたった1つの国、日本だけです。

つまり、仮想であるとかないとか、実体があるとかないとか、それ自体がデジタルフォントの述語としてトンチンカンでピント外れなのです。

デジタル組版では、ボディはしっかりと「実態」として存在し、機能しています。

「デジタルフォントの仮想ボディは実体がない」は、グリフのボディを軽視する考え方にそのまま直結します。この広範にひどい誤解を与えている風説は、デジタルフォントや文字組版を最初からボタンの掛け違いをしたまま考える深刻な現状を生んでいるのです。

*脚注
写真植字は、手動写植→マイコン制御→電算写植と技術的な変遷を経ています。これらを取りこぼしなく扱えればいいのですけど、その力量が私にはありません。ここでは論点を明確にするため、写真植字をあえて「日本語の手動写植」に限定しました。ご容赦ください。なお、ここでは「日本だけの用語である仮想ボディ」がテーマなので、欧米のプロポーショナル幅を前提とした写真植字は視野に入れていません。

続き→ 日本語の活字はどうして全角なのか

文字組みアキ量設定の大前提

Adobeのアプリが実装している「文字組みアキ量設定」って分かりにくいですよね。でも大丈夫。大前提を知っていれば誰でも分かります。その大前提とは、これです。

『約物の幅を全角から半角に変更している』

[なし]の場合

アキ量設定[なし]は、この機能をOFFにして使わないということです。文字の字幅がすべてフォントに設定されている通りになります。全角約物もそのまま全角幅です。
アキ量設定[なし]

[約物全角]の場合

[約物全角]にしてみます。アキ量設定の機能がONになります。そうすると、約物の全角幅がすべて半角幅に変更されます。[約物全角]はその上でアキ(すき間)をプラスして見た目を全角幅にします。
アキ量設定[約物全角]

アキ量設定の「アキ量」は、約物を半角幅に変更した状態を前提にしたすき間の量のことなのです。